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2年ぶりほどに更新いたします

2009年06月11日 12:27

以前読んで頂いていた方々は、疾うに諦めておられることと思いますが、久しぶりに更新したいと思います。
自分は今修行中で自らの作品は停滞中です。技術的なことで頭打ちにあった気がして、作品を展示する気にならなくなったのです。でも依然とアートに対する熱は冷めていません。それどころか、さらに表現したい気持ちが高まっています。自分自身が納得いくまでは発表はしないつもりですが、着々と水面下で動いているような気持ちでいます。
これからも(休み休みになるとは思いますが)アートに関して書いていくつもりでいるので、読んでいてくださる方がおられれば、心強く思います。よろしくお願いします。
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社会vsアート か 社会andアート か

2007年12月05日 11:49

前回あまりの自己嫌悪から、つまらないことを書いてしまいました。申し訳ありません。コメントを頂けたことを大変嬉しく思います。

しかしながら、新たに疑問がうまれましたので、それを記しておこうと思います。

アートはすべからく命が吹き込まれたものであるべきなのでしょうか。私はそうは思いません。アート以外にも命を懸けて創造される事物はたくさん存在します。しかしながら創造者が命を懸けようが懸けまいが、人々の興味、関心には全く関係ないものだと思います。それこそアーティストのおごりではないでしょうか。ビジネスの世界では気持ちを込めた仕事であろうと、成功しなければ無意味な労力で形が付けられるでしょう。心を込めなかろうと成功すれば、有能なビジネスマンと認められるでしょう。(*今までに私はたくさんのアーティストの中にアートをやるポーズとしての命の吹き込みも何度も見てきました。それは私が何よりも嫌うところです。例え人々に関心を持たれようと、意味がありません。)

アートは敗者の傷の舐め合いの場ではありません。レボリューショナルな自己満足の時代は過ぎたと思います。数十年前までのトレンドを引き継ぐなら、それが彼のアートでありましょうが、使い古されたコンセプトであり、人々に新しい興味と関心を抱かせるもではありません。なぜなら時代が過ぎたからです。懐古主義であることを認めること以外には、アーティストとしての存在を主張できるもではないと思います。

アートとは(人々のマジョリティにおいて)それほどまでに”特別”に扱われるべきものなのでしょうか。生死観までも語るべきものと思ってはいけないのではないでしょうか。創造に苦しむのは創造者の常であり、生きることそのものであるとは理解します。しかしながら、アーティストだけがその苦しみやその他の感情を見せ開かしている、そしてそれを黙認してもらっている状況は私には恥ずべき事態だと感じます。それともこれ(個人的な感情の押し売り)がある範囲でのアートの存在理由なのでしょうか。

コメントを頂いたアカネさんや岩手もり子さんの哲学を否定しているとは思わないでください。二方はアーティストにおけるアートの存在意義を書いてくださった。気を悪くされる事は想像に難くありませんが、お許しください。私はマジョリティにおいてのアートの存在意義が知りたい。

author:oldgold

無制作意欲

2007年10月20日 15:11

このブログを読んでくださっている方は、どれ程居られるのでしょうか。もし、少しでもそういう方が居られて、少しでも私の書く文章を楽しみにしていただいて居られるなら、長い間更新をせずに申し訳ありませんでした。

まだショウは終わっていません。開催予定は春先になっています。ただいまかなりのスピードで準備中です。その忙しさに耐えかねて(精神的な圧力の方に参ったのですが)、ただいま猛スピードの中を自分ひとりがただじっとたたずんでいる状態です。ここしばらくはスタジオに立ち入ることすらせず、進んで他のことに時間を割こうとしています。現実逃避ですね。始まること(始めるべきこと)の大きさに正面から立ち向かえないでいるのです。

ほんの少しの理念以外は全て地中深くに埋められてしまったようです。アートとは何だろうか。何の為に。誰の為に。私の理念は正しいのか。ほんの少し表に顔出す理念さえも、少しの振動で枯れてしまうものなのかもしれない。私は何をする為に生存しているのか。アートをする為か。アートとは何なんだ。それをすることの意味は。自己形成。自己昇華。自己満足。無生産者。

アーティストの存在意義を教えてください。私には飢えに耐え、無から意義を作り出す力などあるのでしょうか。他のアーティストにはあるのでしょうか。アーティスト以外の大多数の人々はアーティストに何を求めるのでしょうか。求められる物を形にするのがアーティストなのか。端から求められてなどいないのか。

author:oldgold

ファッション

2007年02月21日 17:05

どんなにアートに興味がないと思っている人でも、服や髪型なんかには気を使っていると思います。おしゃれであるか無いかは関係なく、物を買うこと、特に他人に見られる物を買うことは、自己表現そのものだと思います。

「清潔感が第一だ」「流行でないものなど着たくない」「好きな芸能人が選んだものだから」「他人が着ていない服が着たい」「安ければ安いほど良い」「どうすれば金持ちにみえるかな」…色々な理由があると思いますが、なにか物を選ぶという行為はその人の価値観をそのまま表現してるようで、自分はとても興味深く感じます。

アーティストにはハチャメチャな格好をする人が多いです。自己表現をする為に生きている人ばかりだからでしょうか。自分の知り合いにもジーザスのようにひげと髪を長く伸ばし、ジーンズの片方の足を半ズボンの長さまで切り取って履いている男がいます。正直言って自分には理解できませんが、彼は理解できない人の困った顔を見るのが好きな人なのかもしれません。

似合わないから…などと言わずに自己表現を楽しみたいですね。

author:oldgold

論文

2007年02月20日 11:11

自分は昔から自分の気持ちを言葉で表現するのがとても苦手です。それは今も変わりません。オープンマインドな人は友達もできやすいでしょうし、なにより第一印象から違います。なので普段はできる限り、演技とは言いませんが、内気な自分を押し殺して人と接するようにしています。

しかし、アートは論文(評論文)を書くことと切っても切れない関係にあります。論文は、それこそ、自分の思想を言葉にできなければ話にならないものです。人と話すのと違い、論文では表情や言葉遣いでごまかす事も難しくなります。自分のアートステイトメント(自己紹介のようなもの)すら上手く書けない自分が、他のアーティストの評論をするなんて100万年早いってもんです。しかし、やらなければいけないものはやるしかない…。

今も頼まれ物の評論文を書かなければいけない状況です。しかも、期限は明日。やだやだ!と言っていられない。アートジャーナリストの語彙の多さと表現力を尊敬します。

自分で書いた論文に自分のサインをしたくない…。だって自分が書いたってわかってしまうじゃないか。誰も読まないでー。これが本心です…。ダメなやつだなぁ。

author:oldgold

制作意欲

2007年02月16日 16:54

昨日凍った地面で滑って転んで、腰を打ったので、やる気を失ってスタジオで作品も作らずボーっとしていました。今日はやる気も無いのにスタジオに行ったので、手を火傷してしまって、一段とやる気が失せて、とぼとぼ帰っている途中にまた転びました。絵を描けば取り返しのつかない失敗はするし、厄日ならぬ厄週間です。

「やる気が起きないからしない」と言っていると、自分の場合は一年に一つくらいしか作品ができなさそうです。

有名なアーティストの中にはものすごい数の作品を残した人が意外と多いです。アーティストとしての才能も憧れますが、基本的な人間像にも憧れます。と言うよりも、自分がダメダメなだけなんですがね…。

ところで、テンプレートが見づらい、目がチカチカすると言う指摘を受けました。自分としては明るすぎるバックグラウンドよりも緑の方が目に優しいかと思ったのですが、どう思われますか?そろそろコメントの無いブログ生活にも寂しくなってきたので、それについてコメントよろしくお願いします。どなたでも構いませんので…。

author:oldgold

2ちゃんねるの書き込み

2007年02月14日 12:22

今ネットサーフィンをしていたら、下のような文章を見つけました。

現代美術って意味わかんなくね??
1 :学生さんは名前がない :2007/01/16(火) 17:47:44 ID:bWw7J77L0
絵の具ぶちまけただけじゃん。ただの銅の塊じゃん。
んで素人がそれ見て、分かった気に素晴らしい!って。

2ちゃんねるという人気の掲示板に書き込まれた物です。現代美術に対する正直な感想が気持ち良いと感じました。

ある有名なアートジャーナリストはジャスパー・ジョーンズのTarget with Four Facesを見た感想で、同じような事をジャーナルに書き出版しました。

「招待された客は、何が良いのかもわからずに褒めちぎるんだ。それがまた僕をイライラさせた。いや、実は皆はわかっているのに、自分だけがわかってないんじゃないか、そう思うことが余計に僕をイライラさせたんだ。」

その頃のアートは作品にアーティスト個人の思い入れを込めないことが大事だとされていました。自分はウォーホールの「私を理解したければ絵の表面だけを見れば良い」という言葉は、そこに繋がるんじゃないかと思っています。

アートに気持ちを入れない、と言うことは、見る人がその作品に思い入れを吹き込むということになります。きっとモダンアートの作品はたくさんのイライラが吹き込まれてるんでしょうね。そういう所も含めて、モダンアートってすごくおもしろくないですか?

author:oldgold

シャイなアーティスト

2007年02月12日 15:55

この前ある少し有名なアーティストのレセプションに招待されました。正確に言うと、そのレセプションを企画した人からの招待でした。と言うのはアーティスト自身はとてもシャイで、自分からそういうイベントを開いたり、見に来た人と軽く話したりなどが苦手そうな感じだったのです。

そのアーティストの作品はほとんどがシルクスクリーンとかを使った版画でしたが、ネオダダやポップアートの頃のようなカオスな感じは無く、アジアの宗教と自然がテーマの心安らぐものでした。

レセプションの後に、アーティストは司会者に紹介され、壇上に立ち、自己紹介や作品の紹介を始めました。顔は真っ赤になり、言葉は噛み噛みで、深呼吸を何度もしていました。とてもアートのプロには見えない、たどたどしいスピーチでした。

アートと言えば、自己主張、それ以外に何もないと思います。ネオダダ以降、アーティストの個性を出さないアートが主流になりました。しかし、個性を出さないことが、そのアーティストの個性(の主張)です。

シャイなアーティストを見ると、日常生活で上手く自分を表現できなくて、アートでしか自己表現できない人なんだなぁと思います。すごく親近感がわくのです。

自分は作品に色々な思いを込めますが、そのできた作品を評論する段になると、ほとんどその思いを言葉にすることができません。自分の心の内を話すことが、とても苦手なのです。

自分はそのアーティストのスピーチしている姿を見ながら、「がんばれ、がんばれ」と心の中で声援を送っていました。そして、自分もがんばらねば、と思いました。

author:oldgold

読みやすさ重視

2007年02月11日 19:40

PCに詳しくないにもかかわらずブログを始め、今日はブログのデザインを選び、文章の文字の大きさを変えました。時間がかかります。少しは読みやすくなったかな?

もう朝です…。明日はスタジオにこもります。あー明日じゃなくて、すでに日曜日の朝だ…。

author:oldgold


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