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ヌーヴォーレアリスト・アルマンはなぜゴミを集めたか

2009年06月20日 13:11

アルマンは1960年の第一回ヌーヴォー・レアリスム(ニューリアリズム)宣言に名前を連ねたアーティストの一人です。その宣言以前から、アルマンはパリのゴミを収集し始めていました。市の衛生管理局からのゴミの提供を断られ、2年以上もかけて友達とゴミを集めて、とうとういっぱいのゴミをギャラリーに詰め込むことを達成しました。なぜそこまでして、ゴミにこだわったのでしょうか。

アルマンのゴミを集めた作品にアキュミュレーションズ(Accumulation;集積, 蓄積-goo辞書より)やPoubelle(フランス語でゴミ箱)と言うシリーズがあります(Full-UpPetit Déchets Bourgeois 等)。意味の無さそうに見える物質をかなりの数だけ集めることに、彼は意味を見出しました。ダダイズムの頃に始まったレディメイドと呼ばれる方法では、すでに存在する物(アーティストが一から作る陶芸品や絵画のようではなく、すでに作られた椅子や便器など)を作品で使いましたが、アルマンの違うところは、集まった物達は大量のゴミでなければいけませんでした。

ゴミから発せられる表現とは何でしょうか。辿れば、デザイナーによって試行錯誤の末に出来上がり、小売店の棚に並んで買われる日を待ち、買われた後には温かい家庭の一部として家の中に存在していた、と言うような歴史がゴミにはあります。ゴミにも人間の生命と同じく、始まりがあって終わりがある、年を取っていく、と言うことです。その年の取り方には人(ゴミ)それぞれの道程があり、その今ある姿は、その人(ゴミ)の時間や環境を顕に表現します。

それでは、なぜ大量でなければいけなかったのか。アキュミュレーションズの始まりについて、彼はこう言っています。「僕は昔、絵を描くためにラジオチューブ(電気部品)を買い集めていた。ラジオチューブが乱雑に詰まった箱を見たときに、このアイデアが浮かんだんだ。」

印象派画家のジョルジュ・スーラは絵の具を一切混ぜずに、点描で風景画を描きました。近くで見ると青や赤や黄の点々でしかないものが、一歩引いてみると点々同士が目の中で混ざり合い、緑やオレンジや紫の色を生み出し、鮮やかな風景画が浮かんできます。私が思うには、スーラの点描のように、一つ一つは平凡なストーリーしか持たないゴミでも、集積されることで他の意味が出てくるとアルマンは思ったのではないでしょうか。

私はその新しい他の意味とは社会そのものではないかと思います。一人一人は他者から見れば平凡極まりのない人生であったとしても、各々はかけがえのない思い出を内包し、これからも蓄積していくであろう。ゴミがこの世から生み出されることが終わらないのと同じく、かけがえのない時間が生み出されることが終わることもない。そのかけがえのない時間がどこにでも存在する場所は社会である。

アルマンにとってゴミの蓄積は社会を反映し、人間そのものを表現していたのではないかと、私は思います。


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