スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ピエール・レスタニーのニュー・リアリズム(ヌーヴォー・レアリスム)宣言 完全版

2009年06月13日 16:44

以前にヌーヴォー・レアリスム宣言の訳を中途半端にしたまま、終わってしまっていたので、全文の訳をしました。以前に訳したものとややこしくなるかと思うので、「その1」は削除しました。訳者注のカッコ内は私の勝手な解釈なので、参考程度に思って頂いた方が良いと思います。


ネオダダがアメリカで生まれた同じ頃、フランスではニュー・リアリズム(ヌーヴォー・レアリスム)がピエール・レスタニー他9人のアーティストによって生まれました。その9人の中にはIKB(International Klein Blue-クラインが作った青系の色の名前)のイヴ・クラインや、ゴミを集めて透明の筒につめた作品で有名なアルマンが含まれます。

この宣言で、Art and Life が誕生します。その宣言は1960年4月16日に発行されました。


Pierre Restany, "First Manifesto of Nouveau Réalisme ,"日本語訳

アートの歴史の急なる進化や、モダンライフの無秩序なる異常なパワーを恐れた聡明な学術者や紳士達が、その手で時計の針を戻し、太陽や時間の行進を止めることに躍起になっていることは、虚しいだけである。

私達はすでに確立され終えた単語や言葉やスタイルが、消耗しつくされ硬化してしまった(*訳者注:新鮮さを失った状態である)ことに気が付いている。その因習的方法の不完全さ-にもかかわらずすでに枯渇した-はヨーロッパとアメリカにばらまかれた様々な交渉によって無効にされ始めている。この傾向は新しい表現を定義するものである。

油絵やインコスティック(*訳者注:蝋の様な絵の具を熱を使って描く昔の画法)には付け加えの方法は何もない(*訳者注:それらの画法はすでに完成されたスタイルを持っている。)イーゼルでのペインティング-絵画や彫刻等の領域における唯一無二の古典的な意味での表現-の時代は過ぎたのである。長期に渡る独占はその最期を迎えている-未だ時に高尚であるが-。

それでは、何を代わりに提案すれば良いだろうか?概念のプリズムや空想の編曲を通してではなく(*訳者注:抽象表現主義がオートマティズム等を用い「無意識」に注目していた事に対立するという意味だと思います)現実の知覚を熱心に探求することである。それは何を示すのか?コミュニケーションの本質部分の社会学的延長を導入することである(*訳者注:社会学、つまり人間社会の現実を見ること)。社会学は無意識と偶然を救済することによって(*訳者注:身の回りの事物すべてを意識を持って見るようにすること)生じる。品揃えの度合いやポスターの裂け目、物の外観の中に、日用に不用品や社会の廃棄物の中に、機械活動の停止装置やその認知力の感覚の分布の度合いの中等。

これらの試み-他にも方法は存在し、後にはさらに増えるだろう-はカテゴリーで理解される身の回りの物の偶然性(*訳者注:気付こうと思わなければ目に見えないもの、固定観念によって存在が素通りされる事物)と個々に表現された物の逼迫性(*訳者注:アーティストなどによって表現をすることに目的を置いて造られた物の-言わば見る側が押し付けられるような-感覚)との多大な距離を消滅させることを実現させる。これが表面に呼び覚まされた、社会学全体の真実である-生活においての公益、交流の世界、そして思想交換-。もし人々が思い込まされたでっちあげの永遠なる高貴なアート(*訳者注:アートに対する人々の固定観念)-特にペインティング-を信用しなくなるなら、現在のアートに対する使命はもう疑問に思われることはなくなるだろう。

時に突飛にも見えるが、私達は完全なる感情表現(*訳者注:加工された表現ではなく自然と溢れ出る、そこにある表現)と個別に作り出された巧みさ(*訳者注:巧みに表現されたプロのアート作品)の範囲の中にある純粋な感性の新しい真実の方向へ向かっている。最後に、これは未来への架け橋である。異なった地点への旅立ちが、此処パリにてイブ・クライン、ティンゲリー、アンス、アルマン、デュフレンヌ、そしてビルグレ(*訳者注:そこにはダニエル・スペリーとマーシャル・レイシもいたはずですが書かれていません))によって確立された。そしてもう一度言う、機は熟され、その帰結と絶対的な因習打破として予見できないものが生み出されるだろう-偶像の効力と崇拝者の愚行によって。

このように私達はダダイズムをゼロとした40度上-分度器で-のダイレクトな表現に陶酔している。ダダイズムのもつ攻撃性、リアリズムの正当化に対する切望、論争的な目的無しに。そしてこれは絶対的に効果をもたらすのである。この真実によって息を吹き返すことに成功する者がある時、ある者は感情、感傷、そして詩情さえも超越するのである。
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://neodadaists.blog93.fc2.com/tb.php/24-08c43d91
    この記事へのトラックバック


    最近の記事


    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。