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アルマンは既成概念と戦ったのか

2009年07月11日 13:24

ヌーヴォーレアリスト達は既成概念を拭い去り、新しいアートの世界を生み出すことに挑戦しました。今まで目に留まらなかった生活の中のアートを意識することによって、人々の生活もアート自身も生き生きと輝いて行くであろうことを願っていたのだと思います。

それでは、ヌーヴォーレアリスト達は連綿と築かれてきた「美」に対して、どう答えを出そうとしたのでしょうか。

アルマンはすでに完成された美を持つ楽器や家具等を作品に使いました。彼の方法は、その完成された美を切り刻み、火を放つことでした(Colére-怒り-、Combustion-燃焼-、Coupe-切断-と名付けられたシリーズ)。

一般的にある物が破壊されたり燃やされたいたら(その上タイトルが「怒り」ならば)、それを見る人は相当ネガティブな表現として受け取ると思います。既成概念を消し去ろうとするあまり、過激すぎる表現ではないかと感じることでしょう。

しかし破壊されたり燃やされた物たちは、全てを失うのでしょうか。永遠の美も、永遠でなくなる時が来るのでしょうか。それがアルマンの実験だったのだと思います。

卓越した職人によって作り上げられたバイオリンや家具には、やはり、どう手を加えようと消し去ることのできない気品や優雅さが永遠に残ります。切り刻まれ灰になろうと、その物の持つ根本的なロマンが消えることはありません。

アルマンは「千の物を『集積』することと、千個のかけらに切り刻むことは、基本時に違いはない」と言いました。

ゴミが集積されることで新しい意味を表現しだすように、「完成された美」も破壊されることで他の新しい意味が生まれてきます。しかし、ゴミとバイオリンの違いは、アーティストの遊びを許容しながら無二の美しさを保ち続けていられるかどうかだと思います。

私は昨日ウェブサイトで初めて目にするアルマンの作品を見つけました。A la République-共和国-と名付けられたアキュミュレーションズの一つです。その作品はボロボロになったフランス国旗が集積されています。ボロボロの国旗が一つあるだけでは、物悲しさや敗退と言ったようなネガティブな感情を持ちがちですが、集積されることで、国旗の持つ揺るがない雄々しさや勇敢さが感じられました。それがボロボロに汚い状態であることが、余計にそれを引き立たせているようでした。

物は固定概念を背負わされることにより、人々の関心を引かなくなることがあります。ヌーヴォーレアリスト達はそれではつまらないと思いました。しかし消し去ろうとしても、歴然と輝き続けるものは存在するのだと思います。どのような状態でも、きらきらと眩く光っていられるものこそが本物の美しさを秘めており、どのような手を加えられようと、屈することはないでしょう。

アルマンは抗いようのない永遠なる美しさの中で遊んでみたかったのではないかと、私は思います。
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